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マギーコメント #02 [2006.12.11]

「一緒にやりませんか?」彼(福田雄一)は久々にオレに会うなり、そう言った。
2005年のアタマのことだ。

ソロ活動に入ったばかりの'03年の頃は、ジョビからの次の一手を打つことに焦っていた。
自分から発信する、笑いへのライブでのアプローチ。
いつ、どこで、誰と、なにをやるか。
考えれば考えるほど、それは難しかった。
ジョビとは違うこと、比較されないこと。なにより、ジョビよりも面白いこと。
自分でどんどんハードルを上げすぎてわからなくなってきていた。
「一手打たぬもまた一手」そんな禅問答のような答えに辿り着きそうになっていた。
「ま、いつかそんなタイミングが来るだろう」とりあえず焦るのをやめた。
そんなとき、福田さんからお誘いがあった。

そう、U−1グランプリの言いだしっぺは福田さんなのだ。

別に責任転嫁するわけじゃないけど、ここがデカイ。
自分発信に対して腰が重くなりすぎていたオレへの「競作(共作)」の誘い。
しかも近いニオイのする、信頼すべきコント作家からの光栄なるお誘い。
「・・・これノッとくべきじゃね?」
考えても考えても出なかった答えが、絶妙なタイミングと意外なほど軽いノリによって弾き出された。

福田雄一と児島雄一(オレの本名)の競作コントユニット。
「となると、当然、名前はU−1(ユウイチ)グランプリになってくるよね」
そんな思いつきのノリを大事にしつつ、二人の資質である計算されたコントを紡ぐライブ。
なにより福田さんとの二人での台本作りに興味が沸いていた。
どうなるかわからないけど、きっと面白い。
その日、下北沢の飲み屋でそう思った。

飲み屋のノリが現実になるケースはあまりない。

『U−1グランプリ』もその後、何度も暗礁に乗り上げそうになった。
当然、ノリよりも大事なものがお互いにあった。
譲れないこと、調整がつかないこと、どうにもならないこと。
当初、'05の秋に計画していた公演は、この'07の春まで待つことになる。

でもそのおかげで、このメンバーでやれることになった。
なんの因果か二人のもとに引き寄せられた今回の共演者たち。

次回は共演者について語ろう。


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