福田雄一とマギーが語る、U-1グランプリのすべて —
<第2章> 2012/01/20

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[知られざる共同脚本、共同演出の舞台裏]

マギー あとこのユニットの台本は合作なんですけど、二人で一本のペンを持って書いているわけではなくて。これは今まであまり語ったことのない…、『鶴の恩返し』でいう、障子の奥での話なんですけど(笑)。どういう創り方かというと、まずテーマが決まったら、まぁ、だいたいファミレスなんですけど、その場で思いついたアイディアを言い合う、それも一行の台詞、フレーズだけとか、すごく断片的なものを言い合って爆笑する。そうしたらあとは稽古初日まで一切会うこともなく、お互いが書いてきたコント台本を持ち寄ってドン! と出すんですよ。

――じゃあ稽古初日の前に、お二人でプロットや流れについて決めるのではなくて…。

マギー そういうものはなにもないです。

福田 ないんです(笑)。

マギー 稽古場でそれぞれが書いてきたものを、キャストのみなさんで読むところから始まるんですよ。初日には大体お互いに3、4本ずつ書いてきて。

福田 それであとはバランスを見ながら、残りのコントを書いていく感じだよね。

マギー 「誰々をメインにしたコントがほしいね」とか、「こういう種類のコントがないね」とか、そういう話をちらちらっと相談して、「これは俺が見えたから書いてくる」とか「それは福田さんが見えてそうだから書いて」とか言って、お互いに書いてきたものを稽古場でまたドン! と出して。

福田 そうやって完成させるんだよね、毎回。

マギー だからまずは二人が「これ、面白いと思うんですけど」刀で斬ったものを、互いに見せているような感じなんですよ。

福田 最初のドン! があって、バランスを見ようかという相談をして。そこからはとくに合作色が濃くなっていくよね。二人で案を出し合って、一つのコントに対しても二人のアイディアがどんどん入っていく。そしてコンセプトが固まったら「じゃあこれ、どっちが書く?」と決めて、書いていくという作業だから。

マギー でも一番最初に、テーマに沿って頭の中で発想するのは別々でやる作業なんですよ。そこを出発点にして二人で膨らませていく。だから上手くいってるんだと思う。これをいちいち最初から「こんなの考えたんだけど、どう思う?」、「いや、それよりこっちのほうが…」とかやっていたら、お互いに全然台本が書けないんじゃない(笑)。

福田 それをやると面白くなくなるんですよ。全部が平たくなってしまうから。コントっていうのは合議制で考えてしまうと、みんな同じものになってしまう。僕はコントというのは作家性だと思っていて、やっぱり作家の業が出るのが面白いと思うんですよね。だから二人で最初の段階から「あれがいい」、「これはダメ」とやってしまうのはね。

――なるほど。拝見したときに不思議だったのが、合作とうかがっていたんですけど、すべてのコントにものすごい勢いがあったことなんです。話し合って作ったものになぜ、ここまでライブ感があるんだろうと思っていたんですが…。

福田 まあ演出はマギーが中心ですけどね。僕は横で…。

マギー ご飯を食べてます。

福田 ご飯とか、デザートとかを食べながら、「そこはこうしたほうがいいんじゃないの?」とちょいちょい口を挟む(笑)。

――そういう体制で笑いの感覚が共有できているから、笑いの方向がブレないわけですね。

福田 そこはもう感覚が合っている、笑いの方向性が一緒ということでしかないでしょうね。

マギー ジョビジョバのときも合作していたんですけど、福田さんを一緒にやるようになってさらに強く感じるようになったのが、合作できる要素としてもっとも大きいのが、嫌いな笑いの種類が一緒だということなんですね。「面白いかもしんないけど…うーん」みたいなことが、お互いにまったくない。だからちょっと違うパターンの笑いを持ち寄ったとしても、そこには嫌いなものがないというか。なんていうのかな…、常に嫌いなものが入っていないお弁当が届くような感じ(笑)。

――なるほど(笑)。

マギー だから抵抗なく「これ、おいしいね!」、「これ、新しいね!」と食べられるんです。逆に「これで笑う人がいるのはわかるけど、俺はあんまり好きじゃないよな」と違和感を感じてしまう人とは、たぶんやれないんですよ。
 あと二人に共通して言えるのが、さっき福田さんが「コントは作家性だ」とおっしゃってましたけど、U-1において演出であったり、コントを作るときの発想の根底にあるのは、出演していただく役者さんが輝けるかどうかということなんです。だから決して「俺の台本、面白いでしょ? じゃ、次は福田ワールドでヨロシク!」みたいなことではないし(笑)、作家性をめぐって僕と福田さんの間にせめぎ合いが生まれることもない。そのせめぎ合いがあると、藤子不二雄Aと藤子・F・不二雄のどちらが描いた絵かがわかる、みたいなことになると思うんだけど(笑)、U-1のコントを観ても、どちらが書いたかはわからないと思うんですね。

――観ていて、二種類に分けられるような感じはありませんでしたね。

マギー それはやはり、お互いに演者さんを輝かせたいという気持ちが一番にあるからだと思うんですよ。それがU-1のライブ感であったり、変なかたちで作家性が目立たない部分につながっていると思います。

福田 僕らは演者さんにとにかく「楽しかった」と言って、終わってほしいんですよね。出演してくださった方々には、お得なお買い物をしたような感覚で帰っていただきたくて(笑)。

マギー やっぱり好きな人に声をかけて、「こういう小さい劇場ですけど、僕らの笑いに賛同してもらえたら」ということで来ていただいているわけじゃないですか。だからU−1グランプリでは僕らが好きな人のことを、その素敵なところをたくさんの人に知ってもらいたいという思いが強い。だから素材の良さを生かした料理をつくりたい、コックさんのような気持ちで毎回やってます。


[ワンシチュエーションのフレームと、場の自由度]

――お話していただいたような形で、お二人が本当に面白いと思える笑いを追求されているわけですよね。ただそこと並行してU-1では、笑いをマニアックなものにはしないようにしているともうかがっています。ここの両立に難しさはありませんか?

福田 そこについては、やっぱりワンシチュエーションのコント集という発明がすべてだったと思うんですよね。これが「なんでもありの、裸舞台のコントをしましょうよ」というイベントになってたら、ちょっと難しいことになっていたのかもしれないけど。一つのシチュエーションでどれだけコントが作れるか。ちょっとテレビ的ではあるんですけどそのパッケージがあったから、ちゃんと考える指針ができた部分もあって。

マギー そうですよね。

福田 僕はこれまで芸人や劇団の座付き作家をやってきましたけど、当然のことながら放送作家は、ディレクターやプロデューサーといった人たちのリクエストに応えないといけない。自由創作では決してないんですよね。
 でもU-1では演者さんを生かすということを一番に置くとしても、あとは台本をマギーに預けるということだけを意識して書くことができる。だからここは、劇団やテレビでも絶対書かないようなものを書ける数少ない場なんですよ。制約がないからまあ、ふだん書かないやんちゃな台本が書ける(笑)。

マギー それは僕にも言えることで。付け加えるなら僕の場合はマギーという役者に託すための台本が書ける場所でもあるんですよね。他のお仕事だと「面白いけど、これを監督さんに渡して、俺じゃない演者さんがやるなら、もうちょっと伝わり易く書き直したほうがいいな」と考えることもあるんですよ。でもU-1だったら「大丈夫、これは台本だけだとわかりにくいけど、俺がやったら面白くなるから!」みたいなこともできる。

福田 case03のときに、やたらとなんでも野球にたとえる先生をマギーがやったんだけど、あれは本来僕が書くべき台本なんです。僕はマギーが普段から無駄にうまく野球でたとえ話をするのが大好きで(笑)。それってコントになるよねと言っていたんですけど、マギーが書いたほうが面白いだろうと思ったし、実際に面白いものになった。それはマギーが圧倒的に自分を理解して書いた台本を、自分が演じる面白さを完璧にわかった上で演じていたからなんですよ。

マギー 自分で書いた台本の足りない部分を演出家として補うことができて、さらに演出の足りない部分を役者として補うこともできる場所は、今の活動のフィールドだと、U-1だけなんですよね。役割をセパレートして台本だけを書く、演出だけをする、役者だけをやる、それも面白いんですけど、作・演出・出演の三位一体で舞台に立つのが一番、脳に快楽物質が出やすいというか…(笑)。
 もちろん僕には演じられないことを堤真一さんだったら面白く演じられるだろう、というような台本の書き方は別の意味ですごく自由度が高いんですけど。だからいろんなやり方がある中で、ここではすべてを自分でできるという自由度が楽しめるんです。



第3章に続く…

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